私は若いころから葬儀屋をしたかった。そのきっかけは大阪で会社勤めをしていたころ、あの忌まわしき「阪神淡路大震災」が起こった。震災直後、私は勤めていた会社の指示で兵庫県に住む社員やお得意先の自宅に救援物資を届ける任務を受けた。そこで目の当たりにした現実は恐怖、地獄絵巻だった。大混乱の中、連日「ニュースステーション」では、「火葬ができない」という現実をテーマに挙げていた。家族が亡くなり「お葬式も挙げられないまま火葬を待つ人々」が後を絶たない。しかし私は救援物資を届ける中、また通勤途中などで目にする数多くの「他府県からの応援葬儀社」のトラックには立派な花輪や樒板が満載されている。「火葬ができない」といって嘆く人々をしり目に、応援に駆けつけているかのように見える他府県ナンバーの葬儀社はまさに火事場泥棒ではないが、ここぞとばかりに葬儀をしてくれる「良客を求めて走り回っているのだろう」と私は感じた。これが私が50歳を超えて葬儀社を始めるきっかけになった理由です。決して「いいことをしよう」「困っている人のために」というわけではない。あくまでも商売なので「儲けなくてはならない」。しかし「全国平均120万円(お布施・料理代は別)という葬儀の価格は高すぎる」と今でも考えている。一方で既存の葬儀社が永年かけて積み重ねてきた既成概念というのは、そう簡単には崩れない。「私どもの葬儀は平均30万円台」と訴えても、「大丈夫?」という考えの方が圧倒的に多い。わたしはこれからもこの既成概念と戦い続ける。
50歳を超えて私が葬儀屋を始めた理由